風早物部饒速日王国

十六八重菊紋・風早宮大氏神神紋

論考:風早宮大氏神の謎
画像提供許可:「やまさんの写真集」様より

プロローグ

伊豫國は四国の西北部に位置するに関わらず、記紀の神話並びに四国をさして「伊豫の二名島」と呼び、而して伊豫、讃岐、粟、土佐と数う。これ我が国名を大和と云い、九州を筑紫と云うと同様、四国の政治的中心が当国にあること必せり。中古初期伊豫総領あり、持統紀に見ゆ。蓋し四国を統管せしこと大宰府に似たりしならむ。我が民族の故郷は九州にして四国も九州に近き伊豫より開け始めしによる。かくの如く当国は太古より重要なる位置を占めしが故、有力なる氏族を起こせり。

伊余国は伊豫國にしてこの國造は伊豫全体を支配せし大國造たりしが如く考えられる。

大田亮著の『姓氏家系大辞典』「伊豫」より抜粋

では古代四国の政庁は豫州のいずこにあり、そこにはいかなる氏族が大國造として統治していたのであろうか?伊豫古代史最大の謎の一つ「熟田津(軍港)」の所在地も、伊豫國最大の國津(港)でなければならないはずだ。

今まさにベールに包まれた「風早宮大氏神の謎」が解き明かされる!!

 このコーナーでは、当サイト管理人である饒昇が二年に亘り地元史談会機関誌『風早』に執筆連載したのものを、この度のサイト開設に当たり加筆して書き下ろしたものを紹介しています。
 全文は4章からなりますが、今後順次更新していきます。
 今回は地方祭を目前にして時節柄、第2章風早火事祭りの件についてアップしています。

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