風早物部饒速日王国

十六八重菊紋・風早宮大氏神神紋

[第二章] なぜ神輿を(なげう)って壊すのか

9.風早宮大氏神境内の詩歌碑文について(付録)

注連縄石南側
注連縄石南側

国津比古命神社の境内に入る石橋前の注連縄石右側には次の和歌が刻まれている

うれしくも 松の梢に立寄りて 
           久しく常に民を守らむ

重見丈次、大内佐一郎、今治城下石工 中矢右衛門の名がある。

左側は、嘉永七年甲寅年、米屋嘉太郎とある。和歌は

注連縄石北側
注連縄石北側
千早振 神の五十鈴のかわらずも
           めぐる月日の影のさやけさ

荒神輿の神事を行う石段十三段登った左手には、当社元宮司故・井上貞弥氏の句碑がある。春甫と号し、渋柿派の俳人であったが、俳人の育成のため俳誌「ぬなは」を起こしたが、昭和四十五年七月二十二日(享年八十五歳)に逝去とともに、残念ながら終刊となった。この方は私が北条市立正岡公民館主事時代に館長として仕えた井上貞祀前宮司の父上であり、仁兄櫛玉比賣命神社現宮司 井上貞人氏の御祖父である。

宮司の祖父による俳句碑
宮司の祖父による俳句碑
元朝や (ばち)いま到る 第一鼓