風早物部饒速日王国

物部氏之事

第一章

[第1章]風早國造神主講演録・遺稿集
未来を担う風早の若者たちへ - 君達には物部氏の血が流れているんだ! - 正しい秋祭りの継承を願って

5 御神壐上昇の地

井上宮司

次の「神壐上昇の地」というのがありますが、神壐というのはお御霊(みたま)のこと。上昇は上へ上がったところという意味。「神壐上昇の地」は「お旅所」になります。ご承知かどうか分かりませんが、ここに何かのお寺があり、まっすぐ行きますと、ここに幼稚園がある。ここに広岡さんとかいう瓦屋さんがある。そこに在る石に「御神壐上昇の地」と書いてあります。これはどうして「御神壐上昇の地」となったかといいますと、昔、御霊代(みたましろ)が洪水で流れるわけです。洪水で流れまして、そして大浜の沖合まで流れてしまうわけです。沖合で沈み、誰も海の底だから拾い上げてくれない。そこである人が夢を見る。それは北本町に野村忠人さんという家があります。この方のずっと先代が夢を見るわけです。

立岩校区猪木区内の青年が御神体を海中より引き揚げた。

どういう夢かといいますと、「われは國津の大神である。今、大浜(栄町大濱海岸)の沖合に沈んでいる。お前は明朝、船を出して、私が沈んでいる上に瓢(ひさご)が浮かんでいる。その上に鵜がとまっているから、そのところに網を入れてわしを引き揚げてくれないか」という神託、神様の託宣、夢枕ともいう、夢を見る。

その夢を見られた方が、「あっ、これは氏神様、國津比古様だ!」と、夜が明けるのを待ちかねて船を出すわけです。網を持って、沖合まで出るわけです。見てみますと、まこと、夢で見た通りに瓢箪が浮かんでいて、その上に鵜がとまっていた。よし、ここだというので、野村さんが網を入れる。それで引き揚げようとするけれど、どうしても揚がらない。これは困ったというので、まさかそのまま帰るわけにもまいりません。周囲を見渡しておりますと、そこに小舟がおった。釣りをしていたのでしょうが、それを見ますと非常にがっちりとして頑健な筋肉隆々とした元気そうな若者がいた。目はランランと輝いているけれども、非常に優しそうな目つきで、よしこの人なら大丈夫ということで、ここに来てくれないかと言うわけです。

そこに来てくれた若者に、実はこうこうで網を入れたが揚がらないので、手伝ってくれないかというわけです。この手伝ってくれた方が猪木出身の方だった。この方に手伝ってもらって、御霊代をあそこの浜、大浜に揚げる。だからあそこが神壐上昇の地なんです。揚がりまして、これは國津の大神様の御霊代だというので、そこでお祀りをする。

お神輿は必ず台の上に乗せるものです。ところが氏神様のお神輿は絶対に乗せません。各家にも会社にも絶対に入りません。ただ、台の上へ乗せるのはどこかといいますと、今いいました神壐上昇の地、御旅所に限っている。床几(しょうぎ)の上に乗せてお祀りするのはここだけです。そしてここに置いて、お祀りをしたわけです。そのときの神主さんが野村家の方。野村家の続く限り、子々孫々に至るまで御旅所の神壐上昇の地のお祀りはすべてお前がやれと、こういうことです。今でもやっています。

また、御霊代を揚げるのを手伝ってくれた猪木の人は、その功績は大なるものである。猪木村が続く限り、猪木区の子種が続く限りお神輿のお供をしなさいよと言うて帰るわけです。これが猪木大魔(いのきだいば)の始まりです。猪木は今は6軒しかない。それで渡御には二班に分かれますから、4人が氏神様に来るわけです。そうすると猪木には2軒しか残らない。現在ではそれでも「あなたら猪木の方は大変でしょう。ですからこのあたりで、誰か他の方を猪木大魔として奉仕していただいたらいかがですか?」と言いますと、「駄目だ!」と言うんです。頭から駄目だと。なぜ駄目なのか。それはこういう歴史があるからです。そういった歴史をいつかの時代に壊してしまったら、あとが続かない。だから歴史は歴史としてしっかりと猪木区は守っていこうと。これが猪木大魔の始まりです。