
[第二章] なぜ神輿を擲 って壊すのか
4.死と再生の魂振り―日本三大荒神輿の神事
いよいよ本題に入ろう。風早宮大氏神の秋季大祭・お宮出しでは朝六時、四体の神輿が元気に町に村へと繰り出していく。途中何度も各地域の集会所などメイン会場では、両社の神輿が舁き棒を交差して高くさし上げられる。これは陰陽・男女・夫婦の和合と子孫繁栄・再生と豊饒を表現しているという。このとき舁き夫たちは「モテコーイ」と掛け声をかけるのが旧風早郡(旧北条市)の慣わしであるが、一見旧松山市域のいわゆる「喧嘩みこし」の掛け声とそっくりである。しかし漢字に置き直してみると、「(神に)詣でて来い」と言うのが語源であり、旧松山市域のように、対戦相手の神輿を挑発するための鉢合わせ専門用語ではない。
風早宮大氏神の神輿はまぐあいの所作として差しても、ぶつけ合う歴史がそもそもないのである。それにしても、かつては
このホームページアップに当たり、ただ今桜花の時節を松山地方は迎えている。職場の先輩にお花見の予定を伺ってみると、週末に家族と満開の桜の下でお弁当を拡げるとのことである。ただし有名仕出屋の3000円近くのお花見弁当だそうである。(別にそれはそれで他人がとやかく言うことではないし、正月のおせち料理と並んでハレの日くらい有名料理店の味を子供たちに味合わせてやるのも悪くない。)松山地方ではお花見と雛あらし(桃の節句)が時節的に重なるため毎年4月3日4日は家族、友人知人ら相集まって手作りの重箱を持ち寄り、酒宴に興じたものである。「りんまん」や「醤油もち」など五色の輝く和菓子も緋毛氈に飾られた。余談であるが「野良の節句働き」と言って商家や農家においても休業にしたものだ。
生活が便利にまた経済的にも豊かになり、我々は『ひと手間かける』ことを厭う様になってきた。面倒くさいとかつて門並み飾られていた御神燈ですら、年々その数を減らしてきている。定期的に張替えをせねばならず、その額も高額である。伝統文化を継承していくには金がかかる。祭りがイベント化していくなかで、こういう美風はできる限り残していきたいものである。
さて横道にそれた感があるが、秋祭りの現場に話を戻そう。夕方参道馬場では、前半お膝元の難波校区屋台(
後半は正岡校区屋台(
また毎年10月第二日曜日にあるお宮出し前の正岡小学校グラウンドにおける統一練りは早十年を超えていて、見せる祭り、全国に発信する祭りを企画運営してきている国津会(正岡地区区長会・屋台頭取会)の実績は賞賛に値する。いつの日かNHKハイビジョン番組「日本の祭り」に取り上げられる事を願ってやまない。
同日夕方四時頃この半鐘・太鼓でけたたましいなかを、順次神輿が帰ってくる。しかし名残を惜しむ氏子各屋台は、なかなか通りを空けない。みんな少しでも長く祭りを楽しみたいのだ。西条市の川入りの光景とよく似た構図である。双方ともに古来の祭礼習俗をよく伝えている。屋台の日の丸の笹飾りにしても日輪信仰の厚い土地ということがわかるし、半鐘を祭具に用いるのも古代物部氏が大和周辺で愛用し、北九州からの三種の神器の流入とともに忽然と姿を消した銅鐸を彷彿とさせる。あれも一説には楽器として鳴らしていたと言われる。
さて神輿は三十九段の石段を歓声と怒号の中、かき上げられると、数回にわたって放り投げられる。
そこで「なぜ神輿を壊すのか」という古くて新しい命題に対し、風早宮大氏神の公式見解をベースに私なりに考察して、拙い本論考の筆を置きたい。
- 伊勢神宮は二十年に一度(平成二十五年)、出雲大社は六十年に一度(平成二十年四月二十日仮殿遷座祭)、讃岐・金刀比羅宮は三十三年に一度(平成十六年九月十七日 本殿遷座奉幣祭)、大阪・住吉大社では約二十年に一度(平成二十年四月二十三日仮遷座祭、平成二十三年に御鎮座1800年祭を挙行)ご社殿またはご神宝を新調(含む壁・屋根の葺き替えや修復)します。(式年遷宮:技術・伝統文化の伝承)
- 天皇陛下が即位され初めて迎える
新嘗祭 を大嘗祭 といいます。(一世一代の重儀)大嘗宮は祭事が終わると取り壊します。 - 風早宮大氏神の神輿は毎年新調します。(米の収穫と再生産の準備)
- ひとたび神に供したものは二度と使用しない。常にみずみずしく、清らかなものを捧げ祀る。(常若の思想:とこわか)
「壊す」事が目的ではなくまた「来年作る」事が目的である。稲穂も刈り取る事によって、来春の田植えに恵まれる(再生・復活の思想)。 - 冬至祭りの一種であり、一陽来復を願う、ある意味迎春の神事である。そこには陽光が薄らぐ時期と重ね、太陽神であるニギハヤヒの再生復活、神威の更新がある。
- 祭りを締めくくるにあたっての清浄潔斎を解く。ハレの日からケの日へ戻る(解斎の神事)。神輿を舁く間が清浄潔斎(神遊び、神臣一体・神民豊楽)。
- 御祭神がニギハヤヒゆえの日本建国史を初めとする、この世の森羅万象に対する見直し。(改革・改善=停滞や澱みからの脱皮。伝統とは革新の連続)
- 謙虚で常に学ぶ心を持ち、「俺はどんどん新しくなる」という向上心の修養(生命の躍動・生涯学習社会への対応)
- 一人の力はわずかであるが、みなが協力し、英知を集める事によって、事起こしができる。(人が交流・連帯して知恵を創造するシステムとしての祭り)ひとが輝き、まちが輝く=地域の活性化
- 旧風早國・風早郡に生を受けし者=物部氏末裔氏子としてのアイデンティティの確立。(誇りを持って生きる・愛郷心の涵養。自分が生まれた以前の遠い太古の記憶へ一年に一度、思いをはせる。)
このように一切を新しく造り直すことで、祭神は神威をますますパワーアップ(更新)させ、生命が新たに蘇る。同時に里人にあっては、内省の中で自己を癒し新たな精神の蘇りを願ったのである。限りある生命しか持ちえぬ人にとって、それは永遠を生きた貴重な一瞬となるのである。
