風早物部饒速日王国

序にかえて ~ ホームページ開設のご挨拶

本日ここに構想10年の念願がかないささやかながら、当ホームページの開設を迎えることができました。かねて宮司家からもお勧めを戴いておりましたが、まさに光陰矢のごとしの感がいたします。3年前から4回にわたり地元風早歴史文化研究会機関誌に連載しておりました「風早宮大氏神の謎」がこのたび脱稿の運びとなりましたので、機熟せりと判断し、その後の取材や研究成果を増補する形で書き下ろし、今回当サイトの中核的読み物として、各位にご批評を仰ぎたく存じます。

山紫水明の故郷風早(旧北条市)の地は、大小の船が現在までも交錯する「瀬戸内銀座」と称される内海を扼し、古来より海陸交通の要衝として、大和王権・大和朝廷から重要拠点と認識され、皇軍外征時の兵站本部港として、また一方で「癒しの里」でもある当地は皇族や文武百官等の来遊に浴しました。

そもそも、当地方の本格的な開拓は、古代の名族、物部氏が4世紀初頭、風早国造として赴任したことに始まるとされ、「風速(早)」の初見は持統天皇10年条。はじめは風速とも書いたが、「和名抄」には「風早、加佐波夜」と記す。(「埼玉稲荷山古墳」出土鉄剣では「加差披余」とある。)このように『正史』はもとより『先代舊事本紀(せんだいくじほんぎ)』(第10巻「國造本紀」)、平城京の木簡や古文書にその名をとどめ、風早水軍の将・物部薬(もののべのくすり)や最澄・空海とも親交のあった延暦寺別当の光定(こうじょう)も輩出しました。その後中世伊代の守護職にまで昇り詰めた在地豪族・河野氏の栄枯を経て、江戸幕藩体制下では伊予松山藩の北部基幹領として栄えました。

しかしながら物部氏の入府開拓より2000年を経た今日、一郡一市で独立自尊を保ってきた北条市も国策である平成の大合併には抗し難く、県都松山市と合併の道を余儀なくされ、早3年がたちました。私が拙論を上梓し、これをデータベース化してサイトの開設につなげました原動力は、ひとえに郷土の埋没を憂えるからにほかなりません。初老の歳を迎え日本人の心の荒廃を、先人の生き様や祭り文化の継承の中で改めて整理し、静かに考えてみようと思ったからです。それは私自身の半生を厳しく問い直す営みでもあります。

「温故知新」-悠久の風早の歴史を通して、また全国区での知名度を誇るニギハヤヒを帥とする物部氏関係の個人・団体との出会いと交流盛んなることを期待しています。
お気軽にメール等頂ければ幸いです。

末筆ながら当サイト開設に当たり、IT技術に秀逸な才を持つ阿達さんはじめ、仲介の労を執って頂いたヘアサロンワタナベ様、写真(画像)や資料の提供・御文章の引用、リンクの許諾などをいただきました関係各位に衷心より厚くお礼申し上げます。

そうして言うまでも無く、何よりも風早宮大氏神御両社のご協力なくしては本日を迎えることはかなわず、改めて饒速日尊の御神徳に謝し奉り、益々の御社頭高からん事を御祈念申し上げまして開設のご挨拶といたします。

平成20年 元日

管理人/愛媛県神社庁松山支部北条分会神社総代会理事
延喜式内社 風早宮大氏神総代・松尾神社責任役員・宮総代 饒昇 拝

サイトアップによせて~ 祝辞

 このたび筆者10年の探究・構想のもとに2年間にわたる地元史談会(風早歴史文化研究会)への連載を経て、これを広く世に問われるべくここにホームページを開設されましたことは、誠に時宜を得たものであり、衷心よりお慶びを申し上げます。

 筆者とは、目下松山市政のまちづくりのモチーフである司馬遼太郎小説「坂の上の雲」の主人公の一人である秋山好古陸軍大将が退官後、郷里松山で校長を務めた私立北予中学校(現:愛媛県立松山北高等学校)の同窓生でもあり、また私の婚儀に際しては司会の大役をお受けいただくなど、公私にわたりご厚誼をいただいております。また風早宮大氏神氏子地域の松尾神社宮総代としてその職責を果たされるとともに、当社秋祭りには、宮出しに際し、だんじり統一練りの実況放送を長年勤めていただくなど、櫛玉比賣命神社へも格別のご奉仕をいただいているところでございます。一方、筆者がお世話くださっているまちおこし団体若者塾かざはや様よりは、境内の清掃活動や御神燈一対のご寄進をいただきました。その御信心に敬意と謝意を表します。

 さて、風早宮大氏神の御鎮座は古く延喜式神名帳にも登載され、また物部氏の祖神ご一家おそろいで祭祀されている全国唯一の神社として、さらには他に例を見ない奇祭・全国三大荒神輿「神輿落とし」の神事などから目下各方面から注目を集めております最中、このような大作の論文を発表されたことは、これまでともすると中世の豪族・河野氏発祥の地としての側面のみが喧伝されてきた当地域にあって、古代風早国の黎明期に光を当てることになることはもちろんのこと、今次当代一級の学者らにより指摘・論考されておりますように御祭神・饒速日尊がこの日本国の建国とも深く関わっておられますことから、我が国の古代史解明の一助にもなるものと期待をしているところでございます。

 末筆ながらこのサイトをご訪問いただいた方々には、豫州物部の宗廟たる当社へぜひ一度お運びくださり、「一願成就」の御神徳をいただかれますよう心からご参詣をお待ち申し上げて、簡単措辞でございますが当ホームページ開設にあたってのお祝いのご挨拶といたします。

平成20年 元日

愛媛県神社庁松山支部理事・北条分会長
延喜式内社 風早宮大氏神 櫛玉比賣命神社宮司
井上貞人

発刊にあたり

祭りには先人の知恵と自然の恵みに感謝する畏敬の念が秘められている。年間祭祀を奉仕するたび、感じる。特に秋季例大祭「風早の火事祭」においてはことさらに実感する。幼い頃より父の後姿を見て、また日々の会話のなかで家の重みを知り、祭りを実感した。父親の言の葉ゆえ、ごくごく自然にすべてを受け入れ、疑問を持つことなく、あたりまえに奉仕している。祭りを構成する神輿・ダンジリ・獅子舞・いのき大魔・大浜でのおひきあげ等々、知れば知るほどにその奥の深さに驚かされる。風早の先人はそれぞれにロマンを残してくださっている。

このたび、祭男の著者が時間をおしまず、現地調査を行い、多方面への取材を重ね、諸説を取り入れ、独自の発想で主祭神に関する論証をされた。特に社名からの論証は興味深いものがある。

みこし落としのきっかけは単純なことだと思う。しかし、それが神様のおぼしめしだとしたら、そうではない。

奉職三十五年。稲の成長を見守りながら節目の祭りを奉仕していると、日本人でよかった、自然の恵みに生かされていることを肌身で感じる。

当社独自の行事である「みこし落とし」をひとつのきっかけとして氏子各位がそれぞれの立場で秩序を保って風早の祭りを紹介していただきたい。

平成20年 元日

延喜式内社 風早宮大氏神 國津比古命神社宮司
松尾神社宮司
井上忠史