拙ホームページ・ブログ訪問の皆様には、お健やかに新年をお迎えになられたこととお慶び申し上げます。旧年中は4月に職場の定期人事異動があり職場環境ががらりと変わり、まず仕事を覚え人に慣れることを専一にして参りましたところ、あっというまに大晦日、全くブログの更新ができない一年でした。

 新年はぼちぼちと日々の雑感をアップしていければと考えています。ホームページの方も、秋祭りの画像アップ程度で、これまた芳しい進捗率とはなりませんでしたことをお詫び申し上げます。今年はオリンピックイヤーで、旧北条市内では恒例の「統一寄せ」が行われます。ですので何としても「松尾大屋台新調」のコンテンツを早期にアップしなければならないと決意も新たにしているところです。

 また目下「風早宮大氏神の謎Ⅴ」を執筆しています。5年ほど前に風早歴史文化研究会機関誌『風早』に、4回にわたり連載させていただきました。今回のテーマはズバリ「宵の明星」です。この秋祭りに行われるミステリアスな神事については、それなりに由来や俚諺はありますが、そもそもなぜそれが「宵の明星」と命名されて今日に伝わっているのか、未だ誰も明確な見解が示されておりません。

 本家本元の御両社の宮司に伺っても明確な返答はありませんでした。そこで昨年は愛知県をはじめ各地の祭神調査を実施してきたので、これらを踏まえ、この論考に挑戦したいと考えています。世情さまざまな物部氏関連のサイトを拝見しますと、氏子の私たちよりも市井の研究家は國津比古命神社と櫛玉比賣命神社に注目しているのがわかります。例えばあるサイトにはこういう投稿がありました。

「(國津比古命神社の)例祭は妻神を祀る櫛玉姫神社と合同で神婚風に行われるとの由であるが、この妻神(天道姫と云う)に関わる祭事を「宵の明星神事」と称すことである(名の所以は知らず)。」

との指摘があり、やはりその命名譚を含めた神事の全貌に興味を持たれています。この「神婚」が一つのキーワードで、かつて薫陶を受けた國津比古命神社先代宮司 井上忠衡先生(風早国造神主・物部氏末裔)は、

「もうこんな古式を伝えている祭は全国どこにもないんだ」

とよくおっしゃられていたことを思い出します。これら生前の教導や示唆を踏まえ、私なりにこの秘祭の謎を明らかにしてみたいと思います。地元の私たちが考えている以上に風早宮大氏神は全国区の大社で、物部氏やニギハヤヒ研究を志す者は、その著書で必ず当社について語り、一度は現地を訪問したいと憧れを抱くそうです(昨年知り合った岩手県遠野市在住の碩学談)。

だから浅学菲才の氏子の一人に過ぎない私ですが、さらにさらに日本建国史を揺るがす謎を秘めた氏神饒速日尊様について、今年も引き続き研究を重ねて参ります。氏子各位はもとより全国の物部氏ファン・研究家の諸先生方、お気軽に情報やご意見をお寄せくだされば幸いです。

ともあれ「風早物部饒速日王国」を今年もよろしくお願いします。



平成24年壬辰(じんしん・みずのえたつ)
皇紀2672年 西暦2012年 元旦

                       「風早物部饒速日王国」サイト主宰 
                       愛媛県神社庁松山支部北条分会神社総代会 
                       正岡地区理事
                       松尾神社総代     饒昇(じょうしょう) 拝

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2012年 年賀状

 

2011年 謹賀新年

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祖廟参拝のため上洛(平成22年9月13日 京都市 当時満42歳)

 平成23年 明けましておめでとうございます。


旧年中は拙サイトに度々のご訪問やご支援を賜りますと共に、現場取材やサイト運営に関しご協力をいただき誠にありがとうございました。

振り返ってみますと昨秋風早宮(国津比古命神社・櫛玉比賣命神社)の祭礼においては、かねて念願でありました宮出し行事に、初めて中村時広松山市長(現職 愛媛県知事)のご来駕を実現でき、新調1周年の当社松尾の大屋台にて指揮を取っていただいたことは、松尾社はもとより風早宮大氏神氏子地域の正岡地区総代会としても大変意義深く風早宮祭礼史に残るものとなりました。


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俊介と初詣

 何よりも前日までの雨模様と打って変わって、本祭り(10月10日、11日)が晴天に恵まれたことは、ありがたいことでした。また愛媛CATV様におかれては、合併以来風早宮と鹿島神社の宮入行事についての報道はなされてきましたが、今般初めて風早宮の宮出し行事を加え3本立てでの録画放映がなされましたことは、当局のご英断であり今年も引き続いて「宮出し神迎えだんじり統一練り」の放映も既にお願いしたところです。さらに昨春松山に開局したばかりのピース・ストリートTVの告知番組にも英風会の皆さん方と共に初出演させていただき、大いに秋祭りをPRできました。

 ちなみに本年の秋季大祭日程は10月7日(金)から10日(月)です。
今年もさらに充実した秋祭りの展開を期待したいところです。

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過年正月を台湾で迎えた当時滞在ホテルのお飾り

 さて拙ホームページの今年の目標は、やはり構想以来足掛け3年目になった「新調松尾大屋台」に関する新館をオープンさせることです。この件につきましては、既に脱稿していることからSEの奮起に期待せねばならないことですが、遅くとも今年の秋祭りまでには公開したいと決意も新たにしております。

 また執筆活動では来年1月の締め切りに併せて、「風早宮大氏神の謎」の続編を昨年の風早歴史文化研究会近江路視察旅行の成果を交えながら書き上げたいと思っております。紙数が多いのでしばらくの連載方式になると思います。

 以上、年頭に当たり新年の抱負の一端を書き綴ってみました。今年も相変わりませずご指導とご厚誼のほどお願い申し上げます。

皇紀2671年
西暦2011年
平成23年辛卯(しんぼう・かのとう)元旦
                                            author(オーサー) 饒昇 拝

平成23年 年賀状

平成23年 年賀状

奉  拝  の  記  録

社 名

油日神社

あぶらび

社 格

国史見在社

県社

江州無隠大社

甲賀総社

住 所

滋賀県甲賀市甲賀町油日1042

リンク

映画男女逆転「大奥」公式ページ2010101日公開

http://ohoku.jp/ 

滋賀のロケーションガイド  二宮和也×堀北真希 映画「大奥」撮影レポート ~油日神社~ 

http://location.shiga-saku.net/e445961.html 

物部氏ゆかりの神社と地図monomap 「神奈備」様ホームページより

http://kamnavi.jp/mn/monomap.htm

 

油日神社 出典:フリー百科事典 ウィキペディア日本語版

 

油日神社 「甲賀町観光協会」様ホームページより

http://www.kouganosato.jp/midokoro/aburahij/index.html 

 

油日神社 - 「神社のある風景」様ホームページより

 

油日神社 「滋賀県神社庁」様ホームページより

 

油日神社 「神奈備」様ホームページより

http://kamnavi.jp/en/oumi/aburahi.htm

油日神社 「玄松子」様ホームページより

http://www.genbu.net/data/oumi/aburahi_title.htm

油日神社の奴振り

http://www.city.koka.shiga.jp/guide/education/mi-child/maturkk3.htm

 

白洲正子の愛した近江[滋賀県観光情報]

 

油日神社  Flickr - Photo Sharing

http://www.flickr.com/photos/katsuzin13/264808613/in/photostream/

油日神社のコウヤマキ「人里の巨木たち」様ホームページより★

http://www.hitozato-kyoboku.com/aburahijinja-kouyamaki.html

民話でたどる滋賀の風景/油日神社 「滋賀の風景/滋賀県庁」様ホームページより

http://www.pref.shiga.jp/minwa/14/14-04.html

油日神社のコウヤマキ 「滋賀県の巨木」様ホームページより

http://homepage2.nifty.com/Hiro-Akashi/htm-shiga/aburabi.htm

あなたと歩く近江 - 滋賀ガイド!滋賀県内の人、街、出来事を特集

http://www.gaido.jp/machikado/machikado.php?ID=9246

写り気なAGAT+油日神社★

http://blog.livedoor.jp/agat18k/archives/51438896.html

油日神社 「JAPAN-GEOGRAPHIC.TV」様ホームページより★

http://japan-geographic.tv/shiga/koka-aburahijinja.html

油日神社のコウヤマキ 「巨樹と花のページ」様ホームページより★

http://www.guitar-mg.co.jp/title_buck/25/aburahi_jinja/kouyamaki.htm

白洲和子生誕100年特別展 白洲正子「神と仏、自然への祈り」| イベント・インフォメーション | NHK(日本放送協会)

http://pid.nhk.or.jp/event/PPG0080463/index.html

生誕100年特別展 白洲正子 神と仏、自然への祈り « 滋賀県立近代美術館

http://www.shiga-kinbi.jp/?p=9338

下鴨神社の祭神が降臨した地(御蔭神社) - 京都を感じる日々★古今往来Part2・・京都非観光名所案内 - Yahoo!ブログ

http://blogs.yahoo.co.jp/hiropi1700/14396490.html 

奉拝履歴

平成22114日(2010)

(風早歴史文化研究会県外視察合流前に)

 

御祭神

油日大神

〔配祀神〕猿田彦神 罔象女神

 

 

 

 

特記事項

よもやこんな瀟洒でいて閑雅な趣をたたえる、しかも社殿のことごとくが国の重文であるという神社が、平成の御世になっても現存することを私は寡聞にして存じませんでした。しかしやはりご縁というものは恐ろしいものですね。今年平成22101日から全国一斉に封切された「大奥=全ての要職に女が就き、男が体を売る!?」の宣伝番組【男女逆転『大奥』奥の奥まで徹底解剖スペシャル!(TBS)2010/09/25(Sat)15:30】をたまたま見ていて、セットではないのに江戸時代の映画撮影にピッタリはまったその古社に私は大いに惹かれました。すぐにその聞いたことも無い社名をメモりました。それがこの「油日神社」です。クランクインは今年415日(木)、当社にて撮影がスタートしました。

上記公式ページなどの情報によると奇想天外な現実にはありえない設定です!ま、「男女逆転」と銘打つくらいですから。主人公の徳川吉宗を演じるのが女優の柴咲コウ、仕える美男の園「大奥」3000人のなかから頭角を現し、御鈴廊下で、吉宗から初SEXの指名を受けるのが主演男優の二宮和也演じる若き侍・水野祐之進です。その他玉木宏、阿部サダヲ、佐々木蔵之介、和久井映見、倍賞美津子、竹脇無我、中村蒼ら豪華キャストが脇を固める話題作。愛媛県松山市では大街道シネマサンシャインで1126日までということで、特に大奥は何度もテレビや映画で見飽きているので、奇想天外の番組設定のとはいえ、映画自体には左程興味は無かったのですが、この神社をブログにアップするに当たって、参考までに見ておこうかと千秋楽の1126日(金)に鑑賞してきました。最終日だったので観客はゼロでした。

映画の時代設定は正徳年間。赤顔疱瘡(あかづらほうそう)という男性だけが罹患する疫病がはやり、たちまち男性人口が4分の一に激減し、元気な子種を求めて男性がバイトで体を売り、あるいは公認の吉原遊郭は遊女街ならぬ男娼街という有様です。江戸市中では力自慢の男性に代わって大工も飛脚も幕閣もみんな女性です。そして大奥には美男子が一人の将軍のために通称3000人(実数800人)も構えていたという筋書きです。四国電力のCMで御馴染みの玉木宏は聡明でルックス良しのエリート官僚として「御中臈(おちゅうろう)松島」を演じ、大奥総取締役の松島(佐々木蔵之介)や部下の鶴岡(関ジャニの大倉忠義)とも肉体関係を持ちながら次期将軍の父の座を狙う妖艶な策略家を好演しています。しかし吉宗の政策によって失脚することに‥‥。

一方ひょんなことから吉宗に見初められた水野は夜伽をすることになった。しかし初エッチの相手【「御内証の方」(ごないしょうのかた)と呼ばれた】は死罪(玉体を傷つけたという罪)となるのが家光以来のしきたりとか。(よしながふみの男女逆転大奥では御内証の方というのは、一度限りの性教育係として殺されてしまう運命と設定されているのですが、もちろんこれはフィクションです。)しかしこれでは水野があまりに残酷と、吉宗の温情で打ち首の寸前で大奥から追放され、町人新吉として第二の人生を、大好きなお信(信)と一緒に送るというハッピーエンドなストーリーでした。

油日神社関係では、剣術の稽古(けいこ)を終えた水野が 握り飯を作ったお信(堀北真希ちゃん)と会話をするシーンが撮影されました。そもそも今回のありえない時代設定は、よしながふみの同名人気コミックが原作。謎の疫病で日本国の男性の人口が激減し、男女の役割が逆転した江戸時代。1人の女将軍に3,000人の美男が仕えるという"大奥"を舞台に嫉妬、愛憎、野望、人間模様が映し出される。堀北さん演じるお信は薬問屋の娘。二宮さん演じる水野と両想いでありながら、貧乏旗本と名門の薬問屋の娘という身分違いの恋に思い悩む設定。(ま、興味のある方はいずれDVDをレンタルしてみてください)

 さて神社参拝好きな私としてはぜひナマで参拝してみたいところ。かといって滋賀県は遠方です。思案していたら丁度113日には岡山県浅口市で国民文化祭全国漢詩大会があり、翌日からは風早歴史文化研究会の研修旅行で近江と越前方面の旅行がセットされておりましたので、いささか強行軍ですが、皆と滋賀県草津SAで合流する114日午前中の合間をぬって、滋賀県甲賀市にある当社の参拝にこぎつけました。前夜国民文化祭に協賛する形で岡山市内で開かれた「漢詩を創ろう」サイトオフ会に参加し、一路新幹線で京都に前泊。翌日4日朝、JRで向かい甲賀駅で下車。タクシーで15分弱で到着しました。想像以上に心にフィットする神社でした。観光客は平日もあってか一人もいません。湖国と呼ばれるだけあって清水が豊富で、せせらぎの音が聞こえます。みれば神社神域内を小川が四方に流れているのです。何とも清浄な境内です。さらに映像で惹かれたこの総桧皮葺の社殿、見事です。これなら時代劇の撮影にもってこいですね。

 ゆっくり参拝してお迎えのタクシーまで散策していると、隣県の三重県から定期的に参拝しているという、50代くらいのご婦人に出会いました。その方が言われるには

「当社のご利益はすこぶる強く、その方が一時期病に罹り、医者にかかっても原因不明で埒が明かず物が言えなくなったとき、ここへ参拝を重ねることにより再度声が出だしたこと、また息子が結婚する段になり、当初はマンションを賃貸するとの意向で、ご両親としてはいささか淋しく思っておられたが、これも御神慮か結果的にお嫁さんから同居の申し出と相成り今も円満に暮らしていることなど(要旨)」

を語ってくださいました。やはりご神威が古よりすごいんですよ。よいお話が偶然伺えました。これでこそ四国から尋ねた甲斐があったというものです。

社叢もさることながらご神意もすばらしいことが分かりました。しかも地元の氏子さんではなく、遠方三重からたびたび詣でられると言うのですから。一体どなたが主祭神なのでしょうか?私の第6感がぴくぴくします、風早宮大氏神のニギハヤヒの匂いが、テレビを見たときから実はしてならなかったのです。上記掲出の『物部氏ゆかりの神社と地図monomap :「神奈備」様ホームページ』にも当社は挙げられていますし、何よりも古社で「火の神」と言えば本来ニギハヤヒと相場は決まっています。当社から3キロ先の神体山である油日岳には岳大明神(油日大明神・通山大明神)と呼ばれる奥宮が祀られています。毎年811日の夕方 から旧油日谷七郷の氏子代表が神奈備山にあたる油日岳に登って参籠し、翌日山神の荒魂 を山麓の里宮である油日神社に迎える伝統行事が続けられているのです。神体山信仰の「御生祭(みあれまつり)」の形態を現在に残す興味深い行事といえます。このように神山信仰が残る神社は創始が古く由緒があります。同様な神事が下鴨神社の境外摂社 御蔭神社(京都市左京区上高野の御生山:みあれやまOR御蔭山:みかげやまに鎮座)から荒魂(あらみたま)(新しく生まれた神霊)をお迎えする神事「御蔭祭(みかげまつり)」があり、かつては「御生神事(みあれしんじ)」とも呼ばれていました。「御蔭山」にあるこの社地は、太古鴨の大神(下鴨神社御祭神である玉依媛命、賀茂建角身命、二柱の荒魂とされるが、上賀茂神社御祭神である賀茂別雷皇大神=饒速日尊ともされる)が降臨された所と伝えられているところから御生山と呼ばれており、 東山三十六峰第二の神体山である。また「太陽のただ射す所、即ち、御蔭山」とも呼ばれそれに因んで社名ともなった。一方同じく京都市の上賀茂神社では同様の神事の御阿礼(みあれ)祭、神事が同日512日に斎行される。起源はBC581年に始まり日本最古の神事とされています。現在もなお変わりなく5月12日、牛の刻に神事が斎行されます。旧暦では4月の午の日。

これは上賀茂神社の祭祀の中では、最も古く重要な神事。葵祭に先立ち、夜半に闇の中で神職のみで行なわれる。非公開。 神事の斎場は、上社の北西にある丸山の南麓「御阿礼所」(御生所)に、神籬(ひもろぎ)の囲いがつくられる。かつてはさらに北の神山(こうやま)で行なわれていた。御阿礼所の中央には、榊に垂の「阿礼木」が立てられ、南に松の丸太二本の「御休間木」(おやまぎ)が扇形に突き出している。さらに二つの立砂(たてすな)が設けられる。 さまざまな御阿礼神事は宮司、矢刀禰(やとね)などによって行なわれ、さらに本殿に場所を移される。本殿内陣には御帳台(みちょうだい)に「勧請の小麻」(かんじょうのこぬき、阿礼棒)がある。この夜、みあれ(生(あ)れ、再生)した神霊(別雷神)は、御阿礼所の御阿礼木、御休間木から、矢刀禰の真榊を経て、本殿小麻に移され、賀茂祭当日を迎える。

<参照・関連ホームページ>

「京都鴨川風光・京都風光&京都寺社ガイド」様ホームページより

京都鴨川風光葵祭前儀式Aoi Pre-Festival

http://everkyoto.web.fc2.com/aoifes2.html

 滋賀県野洲市に鎮座する御上神社の御祭神も天之御影神であり、神体山三上山に降臨した神です。「忌火神」とも「二火一水の神」ともいわれている火の神です。この神名は伊勢神宮祭祀(天之御(日)神=女王アマテラス)の「影神」「幽神」であるというのを暗示しているのではないかと推量します。ここにも消された覇王・饒速日尊=天之御影神=賀茂別雷皇大神の祭神隠しの公式が導き出せるのです。この御上神社の神事も神体山信仰としてはあらゆる意味で標型的なものを示す存在です。往古はおそらく社地から神体山へかけて「三上ノ森」と呼び榧の原生林叢で繋がっていました。往古社殿はなく春に神霊を山より迎へ(みあれ)農耕の豊穣を祈る「としごひ」の祭にはじまり、秋には豊作感謝のまつり、「にひなめのまつり」をして、これを山頂に送り還へすといつた形で祭祀が行われていたと考えられます。

山頂に天津磐座があり、奥宮が祀られています。

「天津磐座」は、幅約3m×高さ約2m、厚さ1.5mの船形の岩石である。

この地は安国造(やすのくにのみやこ)の本貫地でした。

旧6月18日祭神御降臨の日には神職氏子等は未明に登頂して神迎えの山上祭を行い、下山して本宮で再び祭神奉迎の影向祭が行われる。本殿の裏扉は祭典時にお山を拝むために構営され神体山信仰の様式手法を伝えている。

また御上神社の秋祭りには秋季古例祭(昔は祭日1014日)があり通称「三上のずいき祭り」として知られています。サトイモの茎(ずいき)で100キロの神輿を豊作に感謝して毎年新調し神社に奉納する祭礼で、風早宮大氏神の暴れ神輿と構図が一緒です。古くは「若宮殿相撲御神事」と呼ばれ神輿の前には土俵を作り角力猿の人形を飾ります。

★三上のずいき祭・野洲市 ぶらり旅

http://hitorikimamani.cocolog-nifty.com/buraritabi/2008/10/post-e975.html

我が国津比古命神社や櫛玉比賣命神社の御動座祭や特殊神事『宵の明星』も姫神が再生した男神の荒御魂の降臨を願う神事で前述の3社同様、貴重な物部神道に纏わる神事といえるでしょう(ちなみに風早宮の神体山は日輪を祀る高縄山と風伯の神を祀る恵良山であると私は考えています。→いずれ詳しく風早歴史文化研究会の機関誌にて詳述したい)。

いずれ御上神社についても機関誌上で考察したいと思います。

油日神社社伝にも往古、油日山頂(694m)に油日大明神が降臨、そのときに、油の日のような大光明を発したとの事で、「油日」の名が起こったと伝わる。その具現化した祭礼が9月の大宮ごもり(油の祖神参篭日)です。それは911日より始まり、油日岳頂上で夜を徹して神火を焚き、13日に油日神社に1000個の灯明をあげて油の祖神に捧げるというものです。

これら一連のことからも本来は火の神であり太陽神と考えられニギハヤヒを想起させますね。天地創成の母胎である「アブラ」に宿る「ヒ」(日、火、霊)の大御魂であるといい、万象根源の神、諸願成就の神、油の祖神として崇敬されています。

しかも記紀にもその名が見えず(国史見在社)、全国に系列の神社が見当たらずないことからも、大いなる大神の神名(本名)が当時の朝廷により意図的に隠されたのではないかと感じられます。神社の公式見解ではニギハヤヒとはもちろんしていませんが、そこは古代史への造詣度合いにより各々ご判断なさいということなのでしょう。

さて約一時間写真を撮ったり、回廊に腰掛けて精気を吸い込んだりしていると、たまたま宮司さんが境内に見えられました。社務所と自宅が別棟とのことで常時はいらしゃらず、御朱印も諦めていたのですが、運よく記帳いただけました。宮司さんから「どちらから?」と問われたので「松山からです」と社交辞令の範囲でお答えしました。すると御朱印帳を返してもらい、ややあって宮司さんがまた戻って言われるには、ただ今(当時→現在は閉幕)滋賀県立近代美術館で『生誕100年特別展 白洲正子「神と仏、自然への祈り」』をやっていて、実は当社の宝物も出していますからと、パンフを下さいました。

俺:「でも先生、これから大津で団体と合流し、今回は残念ながら美術館に回る余裕が無いのです」

と申し訳なさそうに返答すると、

宮司:「いや、之も御神縁だね。来年早々に愛媛県立美術館でも同様の展覧会をやるんだよ。近くならぜひお運びください。」とわざわざ自宅にパンフを取りに帰ってまでご案内を下さったのです。自筆で平成23129日(土)~201136日(日)〔32日間〕と余白に期日まで入れてくださっていました。まだ愛媛県立美術館のホームページでも公式に発表していません。早々と情報を下さった油日神社の宮司に感謝です。そもそも中央展では東京世田谷区一箇所であり、地方展では滋賀県大津市と愛媛県松山市の二箇所のみというのですから、今回の旅行の自由時間に当社を訪ねなければ、この企画も知る由も無く、またいずれ知ってもこの探訪日まで、白洲正子さんにさして興味が無く(白洲次郎氏の妻くらいは知っていたが)、恐らく今回の宮司との出会いが無ければ美術展に行かなかったでしょう。それを思うと旅行の日程や日時、そして事前に「大奥」のPRテレビを見たことで油日神社の存在を知り得、ここを含めて近江路を歩いて古都の日本美術の収集や紹介に尽力された白洲正子さんの生涯にまで辿り着かなかったことでしょう。何かが後押ししてくれているような気がします。

そして近江も物部王国であり、いずれ物部祭器銅鐸(今回旅行の動機は「野洲市立銅鐸博物館」が行程にあったから。)や近江の式内社をからめて風早宮大氏神の謎に迫る続編を「風早」の機関誌に執筆したいと考えています。

【福太夫面 1面、ずずいこ 1躯、翁面 1面、次第書 1握、ささら竹 1

(油日神社提供宝物)】を新年には、ぜひ見に行きたいと思います。

 

●神社プロフ

JR油日(あぶらひ)駅の東約1.7km油日岳(694m)の北西麓にあります。昔、この山頂に油日大明神(あぶらひだいみょうじん)が降臨し、そのとき大光明を発したので、「油日」の名が起こったといいます。山頂に「岳大明神(だけだいみょうじん)」の奥宮が祀られ、奥宮に対する里宮が油日神社です。古くから朝廷の崇敬が厚く、甲賀の総社と敬われ、油の火の神として庶民の信仰も広く集めました。現在でも全国油業界の信仰が厚くあります。明治維新までは神仏習合の色彩が濃く、室町時代の絹本著色十一尊蔓荼羅図(きぬほんちゃくしょくじゅういちそんまんだらず)、千手観音三尊蔓荼羅図、種子三千仏などが保存されていることなどは、そのことをよく物語っています。

 広大な神域には、数百年を経た老樹が密生し、社殿は古社の様相をよく伝えています。正面の参道から見ると、楼門・回廊(かいろう)・拝殿・本殿が一直線に整然と並んでいます。いずれも、重要文化財に指定されている室町時代の神社建築ですが、このようにまとまって一境内に現存しているのは、県下でもきわめて珍しいです。太鼓踊りなどの祭礼も意義深いものがあります。見事な神社建築だけでなく、山岳信仰や民俗行事も見落とせません。

<重文>本殿 楼門及び回廊(3棟) 拝殿

 

御利益

 商売繁盛/出世開運

全国油業界の信仰を集める

    

 

油日神社の花

 桜 (4月上旬~4月中旬)

  

所在地 滋賀県甲賀市甲賀町油日1042 【地図(GoogleMap) 

アクセス 公共交通機関 JR草津線「油日駅」下車 徒歩 30

JR草津線「甲賀駅」下車 車 10  

駐車場 普通車10 

お問い合せ 油日神社

TEL0748-88-2106

 

●特殊神事や祭礼

油日祭り最終更新日:2008410

 

毎年51日  

 油日神社の祭礼は、毎年51日に行われ、数年に一度の「太鼓踊り」が行われます。「奴振(やっこふり)」は5年毎に行われており、どちらも無形民俗文化財に指定されています。中世に始まった神事は盛大で、雲助姿(くもすけすがた)の奴、毛槍(けやり)奴等がそれぞれ衣装をこらし、道中歌を独特の節まわしで歌いながら練り歩きます。次回の奉納は平成23年度です。

 

 

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参道前鳥居と社号碑

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楼門

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境内を流れる清水

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水野とお信がデートした拝殿

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本殿

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本殿を右側から

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拝殿から楼門を見る

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桧皮葺の楼門が美しい

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拝殿前にて

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由緒書き看板

石上布都魂神社(岡山県)

奉  拝  の  記  録

社 名

石上布都魂神社

いそのかみふつのみたま

社 格

式内社 備前國赤坂郡 石上布都之魂神社

備前國一宮

旧郷社

創建時期が不詳の古社。

住 所

岡山県赤磐市石上字風呂谷1448  

リンク

玄松子 石上布都魂神社

http://www.genbu.net/data/bizen/hutumitama_title.htm

石上布都魂神社・「伊萬太千(いまたち)」

http://www.mitene.or.jp/~hayamine/file3/futumitama.htm

石上布都御魂神社 磐座

http://www10.ocn.ne.jp/~veeten/iwakura/okayama/isonokami.html

石上布都魂神社・「Gochaごちゃ」

古代史の旅4:スサノオの天羽々斬剣と日本武尊の草薙剣

http://tokyo.atso-net.jp/index.php?UID=1268356405

吉備氏・笠氏・賀陽氏・上道氏・日奉氏・和気氏

http://homepage2.nifty.com/amanokuni/kibi.htm

神社の伝承() -日本最古の石上神宮-

http://www.nippon-bunmei.jp/tsurezure-61.htm

神ナビ・石上布都御魂神社

http://www.spicy.sakura.ne.jp/jinja/futsumitama/futsumitama.htm 

石上布都魂神社 - Wikipedia

奉拝履歴

平成21年(2009921

御祭神

素盞嗚尊

布都御魂 『吉備温故秘録』江戸後期

十握劒 『神社明細帳』明治初年

特記事項

石上布都魂神社(いそのかみふつみたまじんじゃ)は、岡山県赤磐市(旧 赤磐郡吉井町)にある神社である。

 

現在の祭神は素盞嗚尊とされているが、明治時代までは、素盞嗚尊が八岐大蛇(やまたのおろち)を斬ったときの剣である布都御魂と伝えられ、明治3 (1870 )の「神社明細帳」では神話の記述に従って『十握剣(とつかのつるぎ)』と書かれていた。

この剣を祀ったのが当社の創始と伝えられる。

この『十握剣』について、日本書紀(書紀神代巻)は、写本によって記述が変わるが一書に「此は今石上に在す」、「鳥上の山これなり」また一書に「今吉備の神部(かむとものを)の許に在り」と記している。また古語拾遺(807年編纂)には「備前国赤坂宮にありしが、仁徳天皇56年10月、物部首市川臣が勅を奉じて、石上振神宮高庭之地に奉遷して、地底石窟の内、布都御魂横刀の左座(東方)に加え藏めた」とあり、もともと当赤坂宮に祀られていたものと考えられる。

備前の中心であった旧赤坂郡(現在、赤坂郡と磐梨郡が合併し赤磐郡となり、近年赤磐市に移行)は鳥取と呼ばれ、吉備の石上神社は、日本書紀の記述と同じく「鳥上の山」そのものである。昭和20年代まで、鳥取上村、鳥取中、下村と呼ばれ、「鳥上」も使われていた。その地は、製鉄技術を持った工匠が多く住んでいる場所(旧赤坂 郡内の宅美の郷)であった。星川王子の変で、大和政権が吉備上道から山部を取り上げた。そこを管理したのが、物部氏であった。

 

石上神宮にあった布都御魂横刀(主祭神:布都御魂大神)の方は永く宮中に奉斎せしめ給うたが、第十代崇神天皇7年に物部の祖、伊香色雄命が勅により現地石上布留の高庭に鎮め祀り石上大神と称えまつったものであり、これが石上神宮の創めである。このことは石上神宮の社伝にも記されている。

そうすると現在、奈良県の石上神宮には御魂代としての十握剣は二振り納められていることになる。

ちなみに「十握剣」とは、その長さを表わし剣の長さ(10束≒80cm)を表す普通名詞であり、長剣であったことがわかる。

1本はこの岡山県の赤坂石上神社と由緒を共にする八岐大蛇を退治した『十握剣』だが、これは石上神宮の主祭神ではなく、もう1本の神霊が主祭神で、神武(初代天皇)東征において荒ぶる神々を悉く退けた霊剣『十握剣』である。元は建御雷神(たけみかずちのかみ)が出雲の国譲りに際し葦原中国(あしはらのなかつくに:日本列島)を平定するのに用いた剣『布都御魂(ふつのみたま)』である。

 もと本殿なく、拝殿後方の禁足地に御神体を埋納すると伝えられ(→『石上神宮旧記』には「(仁徳天皇の代に)布都斯御魂は布都御魂の横刀の左の座(東方)に加えておさめた」と具体的に詳述されており、これにより十握剣は都合2本ということになるわけである)、ところが明治7年(1874)菅政友宮司によって勾玉など多くの古代宝物とともに発見された神劔は、錆びた鉄剣1振りのみだった。2本なかったのである。宮司は発掘された神劔を御神体として、地上に仮神殿を建てて奉安した。

 余談であるがこの鉄剣については明治天皇にお見せした上で石上神宮に戻され、刀匠・月山貞一氏により影造の剣が3本(2本は試作品?)作られた。宮内省と奈良石上神宮に1本ずつ納められ、残りの1本は、赤坂(吉備)の当石上神社に寄進されている。発見された鉄剣が、根拠は不明ながら、元赤坂の剣『十握剣』と判断されたからだろう。

 

==========【参考資料】

 

(1)『天理市史』の石上神宮の項 P636

 

「大和石上建布都大神に「ヤマタノオロチを斬り給う十握剣を名付けて蛇の麁正(オロチノアラマサ)とも申す。<中略>初めは吉備神社にあって布都斯魂(フツシミタマ)と申す、人皇十七代仁徳天皇の御代五十六年十月、天皇布留氏の遠祖市川臣に勅して、布都斯魂神の神体を当宮の斎庭に遷し加え斎奉、市川臣を神主と定給う」

 

石上神宮の第三相殿の御神体が上代に吉備にあった。

 

 (2)石上神宮には御神体の神剣が2本あり、

 

1本は主祭神の布都之御魂(フツノミタマ)、もう1本は第三相殿に配祀されている布都斯御魂(フツシミタマ)両者が紛らわしいのが、フツノミタマは武甕鎚命が葦原中州(アシハラノナカツクニ)を平定したときに帯びていた霊剣で「平國之剣(クニムケノツルギ)」の別名もある。神武天皇が東征の途次、熊野で高倉下を介して奉られたのもこの剣。これに対し、上代に石上神社に鎮座していたとされる、素戔嗚尊がヤマタノオロチを退治したという剣は後者。

 

「石上神宮の『布都斯魂』はフツヌシと書いた『布都怒斯魂』の「怒」が落ちて、後世、『布都御魂』と『布都斯魂』の二神のように錯覚した」という説もある。

 

<また別途>呼びかた

 

布留御魂大神(ふるのみたまのおほかみ)

布都斯御魂大神(ふるしみたまのおほかみ)

 

<また別途>呼びかた

 

天理市ホームページ 石上神宮 ところ 布留町布留山

布都御魂(ふつのみたま)神 

布留御魂(ふるみたま)神 

布都斯御魂(ふつしみたま)神

 

 

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石上布都魂神社拝殿

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ご本殿

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熱心に神刀模型の説明をする同社宮司

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同級生の山本君と

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先付

私の秋の実感は「祭り」と「金木犀」と「マツタケ」ですね。

でも私よりマツタケ好きなのが隣で仕事をしている「御大」です。私が「おんたい」と尊称しているお方です。グルメで国産マツタケにこだわり、今年も既に二度堪能しているお方です。もう晩夏ごろから「マツタケ、マツタケ、はよ食べたいな、はよ食べたいnote」と呟いておりました。

 

 

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刺身の盛り合わせ

本来なら9月ともなると旬を迎えるマツタケが、今年は市場に出回る量が極めて少なく不作の観測が報じられていました。林野庁によると国産マツタケの生産量は記録が残る1941年の1万2千トンをピークに減少傾向が続き、2009年にはわずか24トン。代わって最近は中国、カナダからの輸入が増え、国内消費の9割上を輸入マツタケが占めるとのこと。その輸入物でさえ入荷量は例年並なのに1㌔あたりの卸値が5万円と5㌫上昇したという。(愛媛NP20100922)

 

 

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ご存知!マツタケの土瓶蒸

東京・築地市場ではマツタケ相場は昨年に比べ二倍程度で推移。9月15日には岩手県産が400グラム22万円の高値で競り落とされたとのことです。生産量で全国一を誇る長野県林業総合センター、竹内嘉江主任研究員は「マツタケは地中の温度が19度以下になると成長を始めるが、今年は残暑のためか、かなり遅れている」と指摘。「ここにきて雨が降り、地中温度も下がってきた。何とかこの状態が続いてくれれば」と、生育を促す秋の深まりを待ち望む声が高まっていると伝えられていたのです。この当時はね。

 

 

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やっぱり定番は 焼きマツタケ。香りがたまらんわ

そこで困ったときの神頼みというわけで、岩手県岩泉町の生産関係者が、マツタケの豊作を願い「岩泉松茸神社」を建てられたであります。私もテレビ(10月15日 「みのもんたの朝ズバッ!」)で見たのですが10月3日に鎮座祭(これを報じた男性アナウンサーが「男根」を頭によぎらせて、「チン(珍)ザ」という時に照れ笑いしていましたsmile)が行われ、社殿内には松の木で作った立派な松茸のモニュメント(確かに「チンコsign03」に似てます)が作られ、神前には社を守る「こま犬」に代わって「マツタケ」の木造が設置されました。

 

 

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これはメインディッシュの「マツタケと鱧のしゃぶしゃぶ」誠に上品で美味なり。

すると早速翌週から霊験が現れ、岩手はおろか全国で史上稀に見るマツタケの大豊作になったのです。テレビのニュースなどを拝見すると、平素国産物など置けないスーパーでもこの豊作に国産物を陳列販売しているほどの盛況ぶりだといいます。

てなわけで私たちグルメ会4名は10月22日(金)18:30から「きよみず」さんで待ちに待ったマツタケグルメ祭りを開催したのです。今日の仕入れ元は岡山県とのことです。店内にはこの日を待ちわびた他のお客様もいらして、ほぼ満席状態でした。

 

 

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マツタケの天麩羅

もう「きよみず」さんの上品なお味と風雅な雰囲気は拙サイトでも十分お伝えしているところですので、当日のお料理の数々を画像でお楽しみください。帰りにはお土産でマツタケご飯を3重ねづついただきました。余談ですが、入れ物に感嘆しました。昔ながらの本物の木の折箱に入っていたのです。今はナイロン製になってしまい、もう見ることはないと思っていましたが、久々のご対面です。昔は立てまい(上棟式)など喜びごとは「木製のこの3段重」に、にぎにぎしく盛り付けされていたものです。

 

 

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デザートは自家製の抹茶とイチヂクのアイス

今尚こういった品物をお使いになられている「きよみず」さんはやっぱりいいお店だなあと思いました。大将、女将、二代目のたくちゃんはじめご一同様のご健勝と益々のご繁昌をお祈りしていますfuji

なお生マツタケの画像は二代目 森脇 巧さまよりご提供いただいたものです。

ありがとうございました。

 

「きよみず」二代目の独り言 ~お料理よろずよもやま話~

 

 


 

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すごい綺麗で雄雄しいマツタケです。

岩手県岩泉町松茸神社とマツタケ祭に参加して「(写真, 画像) by akamatsurin様ホームページより」

マツタケ豊作末永く 岩泉で神社建立(「岩手日報Webサイト内」様ホームページより)
松茸神社の「御利益」!国産マツタケ大豊作 - GREE

「岩泉松茸神社 与作奮闘記」様ホームページより

↑マツタケアートの作者さまのホームページです。

 

 

「神輿落とし」のおしえ

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我が国の本宗「伊勢神宮」は20年に一度社殿や神宝を新調します。我が氏神様においては毎年神輿を4体も新調して御祭神の神威の更新を図ります。(画像は平成21年秋祭り)

先週金曜日に初オンエアで北条地方の秋祭りが3本立て(120分)で一挙に放送されましたが、皆さん見られたでしょうか?

私は『風早宮大氏神宮出し 神迎えだんじり統一練り』を担当していたのですが、祭り酒をいささか過ごしすぎたため一体いかなる仕上がりになっていたのか心配していましたbleah

全く記憶がないのですから‥‥。

でも拝見して安心しました。まあまあの仕上がりになっています。

別に鹿島神社のご案内役の塩谷さんと事前に打ち合わせをしていたわけではないのですが、東西の神社の御祭神の由来を初めて解説に散りばめながら、風早火事祭りとしてバランスの取れたよい仕上がりになっています。

今週も再放送があるので見逃された方は是非ご覧になってください。

愛媛CATVで28日(木)9:00からと16:00から(二回目)また再放送されますよ。

 

朝刊の「朝の詩」に下記の投稿が掲載されてました。この考え方は毎年神輿を新調する風早宮大氏神秋祭りの考え方を踏襲するものです。

つまり神様から与えられた「御米」は籾をまき苗代を作り田植えをし、八十八の行程を経て「稲刈り」をしてはじめて私たちの主食になります。植物の生命力を一時的に絶つことは、一見かわいそうなようだけれども、その歳のその一株の稲株を収穫すること(秋祭り)によって、又来年、豊年を約束された春祭り(田植え)を迎えることができるのです。稲霊にとっては永遠の生命力の連続性が図られるのです。

ここに「万物の再生と復活」を象徴する「破壊」と「創造」の神道の考え方があります。

※※※※※産経NP20101013より

おしえ

 

秋に葉を落とす

木々がある

春に新しい葉と

交替する木々がある

落ちた木の葉は

堆肥になって

木々を育てる

紅葉は元肥

ゆずり葉は追肥

これは

子孫を守る

地球上のおしえ

にちがいない

(作者:大阪市港区 松村 豊 73歳)

 

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松尾神社宮出し後に奉納される地元獅子舞保存会による「獅子舞」。荒々しい所作が神々のパワーと重なる。(平成22年10月11日午前8時)

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北条港周辺のだんじり練り。お旅所近辺は道路が拡幅され屋台が9台位横に並べるようになっておりすばらしいです。

4日間にわたる風早火事祭りが無事に閉幕しました。まずは氏子の皆さん、神社関係者の皆様、ご支援いただいた地域の皆さん、そして遠方ご来臨下さいました方々に主催者の一人として衷心より厚くお礼申し上げますheart

例大祭には雨模様でしたが、その後大祭・小祭と晴天に恵まれ、井上宮司も大変お喜びになっておられました(11日松尾神社例大祭祝宴にて談)sun

 

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本町区長さんと

僕はというと、9日宵には久しぶりに北条校区の練りを見物しました。風早宮大氏神の統一練りには上がってこない屋台もあるので、ここはここでまた意義があるし、そこそこなじみの顔ぶれが頭取や舁き夫でがんばっています。みんな祭りのときは「エエ顔」しとるんよ。

ややあって、今年から本町区長になったという丸さんが寄ってきて

「饒昇さん、北条の練りに来るなんて珍しいねえ。」と言われ

「ほうよ、たまにはこっちにも顔出ししとこ思って。」するとすかさず、丸さんが

「これやるけ?」と飲みかけの小型の缶ビールを右手で振ったbeer

「もちろん、いただこわいsmile」すると本町区のダンジリに積んでいたのであろうか程なくして、さらのビアを持ってきてくれた。『ありがとう、丸ちゃん』。今年から本町区長になったんやと。こういう心遣いがうれしんよねえ。やっぱり祭りはエエわいheart04

同行の拙サイト取材班には車なのでジュースをいただいた。ありがとう。

 

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井手順二元北条市長さんと

そうこうしていると目の前で「規律委員」の腕章を巻いて屋台の交通整理をしているおいさんがいた。見たことあると思ったら元北条市長の井手さんやったわいsmile

俺:「お元気そうで何より、今晩はまた腕章つけてエエとこやっとるなあ。」と旧交を温め写真を撮りました。

 

 

今晩はまだまだ展開がありますsign03。程なくすると、松山市議の菅さんが連れて沿道の皆さんに挨拶回りにだれか来てる模様。何と!同級生の元南海放送アナ・野志クンやったわ。そいで僕のところにも来るなり、

野志:「饒昇クン久しぶりーnote

饒昇:「ほんとよなあ、3年位前にばったり飲み屋街でおうて以来やねえscissors」と肩を叩いて友情エールの交換shine

 

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野志クンと菅市議さんと

野志クンは実家がうちの実家の隣町の河野別府のご出身。今年43歳です。彼は松山南高校に進み、僕は松山北高校と学校は違っていたのですが、共に3年間時々電車でご一緒になり通学した仲で、当時から妙に波長が合い楽しい語らいをしたものです。

その頃から弁舌は豊かで、時にお茶目なところもあり、ゆくゆくは大成される方だと思っていましたが、南海放送のアナウンサーになったと聞いたときにはびっくりしました。そしてあの看板番組のメインキャスターとして、テレビに登場した20年前にはまたびっくりですwobbly

あの、あか抜けなかった(よい意味で純朴という感じの)少年が(当時は秀才肌で眼鏡を掛けてたと記憶してます)、短髪で男前を上げて名調子でしゃべっていたのですから。それだけでも同級生としてホントに鼻高々な存在でしたが、今回あえて、その職を辞してまで大望のために立ち上がったと仄聞し、今後の更なる御活躍をお祈りした次第ですfuji

 

 

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瑞穂のメンバーと上野邸玄関(平成22年10月10日午前1時過ぎ)

午後9時前に一旦帰宅して、ご案内があったので地元の池田邸で懐かしい語らいをしました。奥のまっちゃんの稲荷寿しうまかったです。

それから11時に着付けの先生をお迎えに行き自宅で紋付羽織袴の正装をしました。例年は舁き夫同様の法被で参加するのですが、今年は私が敬愛してやまない中村市長さんが、宮出しに初めてお見えになるということで、威儀を正してお迎えしようと紋付にしました。

さてさて身支度もでき、時間は移ろい10月10日大祭の日、午前零時30分です。次の訪問先は中西内の上野邸です。上野さんは元会社の上司で今年定年退職されました。ここへは毎年宮出し前に寄って気勢を挙げることにしていますup。おでんと巻き寿司をいただきました。奥さんの里の老夫婦、嫁さんの弟も来られていて、そうこうしているといつもの瑞穂のメンバー(ノリクン、ナオクン、克っちゃん)も合流して飲んでいたら、携帯が鳴りますphoneto。えひめCATVの取材班(うじごうさん)が午前1時30分お宮でとの約束が、早めに着いたと電話がありました。そこでうちのカメラマンを北中ローソンまで迎えにやり、上野邸で撮影の打ち合わせをしました。

 

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中村市長、新旧正岡地区区長会長さんと奉祝式典前に。(平成22年10月10日午前4時)

前日から手製の厚紙付きのカンペを作り、キーワードは視覚に訴えるべく書道の師に半紙に清書してもらい準備万端ですが、何様自制して飲んだつもりが、かなりの酩酊状態となっていました。『カンペ読めばいいや』とて、セリフも当然頭に入ってませんbearing。そんななか打ち合わせを一応終了して1時30分から境内で撮影開始しました。

 

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念入りにリハーサル。酔っててもやるときはやるんよ俺。

今となっては全く記憶ないしオンエアが非常に不安なのですが、週22日(金)午前中に北条地方祭を一挙放送とのことで、えひめCATVを受信されてる方は見てみてくださいね。

そして2時からダンジリの実況を例年通りこなし、4時15分(馬場での練りが熱心で開会が遅れた)から「神迎えだんじり統一練り2010」奉祝開会式典を行いました。

 

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めでたく鏡開き(桜うづまき酒造提供)乾杯の音頭は、本年祭り年番の夏井中西外区長

今年は「松尾(中西外区)」が「祭り年番」で、日高完男 國津会会長(さーちゃん)が力強く開会宣言。続いて主催者を代表して西原豊徳正岡地区区長会長が挨拶を行いました。

 

 

 

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中村市長が昨年新調の松尾大屋台で指揮を振るう。(平成22年10月10日午前4時30分 正岡小学校グラウンド)

早朝遠方よりご来駕の中村市長は来賓祝辞で

「風早火事祭りの宮出しに初めて参加させていただき、北条の方々のお祭りに寄せるパワーに感動しました。今回市長職を退任いたすことになりました。合併以来至らぬ点も多々あったろうと思いますが、これまでご支援とご協力ありがとうございました。(大意)」

と旧北条市民に対しては最後になる公式なメッセをいただきました。舁き夫、役員、観客一同感動の中、万雷の拍手で応えました。

「中村市長、よくやっていただきましたheart02この6年間、ありがとうございますscissors

皆さんその思いだったと思います。まさに『惜別・感謝』の念と、祭り独特のすがすがしさと賑々しさがあいまって、心に残る宮出しの奉賛行事であったと思います。僕も司会をしながら目頭が熱くなりましたweep

 

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風早火事祭り2010『神迎え統一練り』

このあと鏡開き、乾杯と続きセレモニーを終わり、中村市長には松尾大屋台で指揮を執っていただきながら盛大に統一練りを展開し5時に閉会しました。

6時には御両社から宮出しがなされ、前夜から長い長い一夜が明けました。

 

 

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風早火事祭り2010『神迎え統一練り』

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國津比古命神社の真新しい神輿。宮出しを待つばかり。

いよいよ宮出しが明日に迫ってきました。お天気が心配ですねcoldsweats02

かねてからプレゼンしてきたCATVの録画放送も決定しました。中村松山市長も初めてご臨席される予定で、昨年新調なった松尾大屋台で指揮を取っていただくことになっています。

どうか氏子各位には怪我の無い楽しい秋祭りを迎えられますようお祈りします。


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宮出しで馬場を練る「松尾」と「曙」の大屋台

また県内外の皆さま、せっかくの連休でございます。ぜひ風早火事祭りにご来臨ください。(詳細の祭事日程や地図は拙ホームページをご覧ください。)

 

 

 

 

平成22年風早宮大氏神秋季大祭予定(画像は全て昨年のものです)


fuji10月9日(土) 19:00 風早宮大氏神参道馬場ダンジリ練り(正岡校区屋台)
                鹿島神社お旅所・北条港周辺ダンジリ練り(北条校区屋台)
                     難波ダンジリ祭り・校区内練り(難波校区屋台)    
           
                     櫛玉社 御動座祭
                20:00  國津社 御動座祭
                21:00 櫛玉社神輿[御忍びの渡御] 特殊神事『宵の明星』


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昨年新調された「松尾大屋台」

 

 

 

 

 

        
fuji10月10日(日)  2:00 各町屋台順次風早宮に参宮
                  3:50 神迎えダンジリ統一練り 2010 (正岡・北条・難波校区屋台揃い踏み)
                  5:45 御両社 神幸祭祭典
                  6:00 御両社 お宮出し 
                  6:30 御供獅子舞奉納(八反地保存会)
                       日中氏子各町渡御(拙ホームページ神輿渡御日程表参照)
                  13:00  難波校区神送りダンジリ練り(境内・馬場)
                        御供獅子舞奉納(庄保存会)
                 15:00  正岡校区神送りダンジリ練り
                 16:30  お宮入り 『暴れ神輿』神事




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神迎え統一練り2009(正岡小グラウンド)

fuji10月11日(月) 旧北条市内各神社で宮出し・宮入り

 


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宮入り神事「暴れ神輿」

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ご神体が納まった宮箱を奪い合う肉弾戦!!

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宮入りに際し「神送りのダンジリ練り」をする「英風」と「瑞穂」の大屋台

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同じく子供屋台の練り「英風」「寶風」「瑞穂」

   

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一足早く御動座祭が成された櫛玉比賣命神社神輿が「お忍びの渡御」を行う。境内神域内では声を発しないのがしきたり。すなわち奥様の神が「あなたそろそろご本殿から新しいお御輿にお遷りになって」とさかんにラブコールを贈る神聖な神々の睦み合いの空間だからである。(平成21年10月10日撮影)

そもそもは熊野から進軍途中、大和平野の後輩地・宇陀(奈良県宇陀郡榛原町)で窮地に陥ったとき、天皇が神に祈って寝たところ、天津神が天神地祇を祀るように夢で言ったことに始まる。そして、神武天皇はしいねつひこ(椎根津彦)と帰順したおとうかし(弟猾)に命じて天香具山にある神社の埴を取って祭器を作り菟田川之朝原(奈良県宇陀市の丹生神社か)で、自ら高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の「顕斎」を行ったもである。

「顕斎」というのは、目に見えない神を見えるようにして祀ることであり、つまり道臣命を斎主(神主)として厳姫と言う巫女名(現在のように祭祀補助ではなく、司祭者として神意を伝えるシャーマン)を授け、神武天皇自身が高皇産霊尊になる儀式を行って、おそらく高皇産霊尊を身に憑(のりうつ)らせ、神託を道臣命に聞かせたたわけである。だとすれば、これは天皇が神憑りした最初の例だろう。神意を実際に演じて見せ、全軍に勝利を信じさせた心理効果は大きかった。


http://www.genbu.net/data/yamato/nyu_title.htm丹生(にう)神社

玄松子様ホームページ「玄松子の記憶」より


 それにしてもなぜ、神武天皇は男性である道臣命に姫名を与えたのであろうか。その答えを導くために「ヒメ・ヒコ制」を考えてみる。古代男王はもともと聖俗双方の権力を具えていたはずだ。だから「ヒメ」が持つ役割と意義は、男王権力の継承に必要な首長霊観念が生まれ、その鼓舞と新首長への付着が重要な儀礼行為となったとき、女性の持つ生殖力や女性祭司が太陽神と交合する、という呪性が不可欠とされた点にあると寺沢知子氏は指摘する。つまり「ヒメ・ヒコ制」の原型とは男王が政治と祭祀の双方を掌握しながらも、彼を王と成す決定的なスイッチを女性祭司が握っているという関係であり、それが王権誕生時のマツリゴトの姿だったのではないかというのである。だから『日本書紀』において、神武天皇はわざわざ男性である道臣命に厳姫(いつひめ)の名を与え表面上女性化する必要があったのであろう。

このように『日本書紀』に書かれる神武天皇の「顕斎」の構造を押さえながら、國津比古命神社の御動座祭を、これに置き換えて考え合わせると、風早國造神主である國津比古命神社宮司(男性)が、年に一度の大祭に合わせて風早のクニタマ(國魂=古代風早国草創から続く首長霊)をその肉体に乗り移らせてその霊威を更新させ向こう一年、善政を行うことを祖神に誓う神事、風早國造(風早王)のガバナンスを高らしめる宗教儀式といえる。祭政一致であった古代においては、このことが何を置いても重要であったし、この決定的なスイッチ役を果たすのはとりもなおさず、女性祭祀者でなくてはならず、ここにわざわざこの秋祭りの御動座祭に限って櫛玉比賣命神社から先祭の儀に及ぶ意味がはっきりするのである。

すなわちそれは、現実の神事の次第としいうならば、風早國造神主が御祭神である饒速日尊(ニギハヤヒ)の降臨・御動座を希(こいねが)う祝詞奏上のまさしく絶妙のタイミングで、櫛玉比賣命神社の神輿一体が無言のまましずじずと石段を降りてきて八脚門の前に差し掛かるわけである。この時、その姫神の神霊が、風早國造神主に憑依し(表面上女性化する)、つまり目に見える現実の神事は男性の井上当代宮司(風早國造神主末裔)によって斎行されているのだけれども、宗教儀式上は、妃である櫛玉比賣神が、ご主人の神=饒速日尊の神輿へのお渡りを誘導する神聖な儀式といえよう。

だからこそ「宵の明星」と呼ばれる他に例を見ない(だから神社庁だ「特殊神事」と認めている)宮出し前のお忍びの神輿渡御は昔から掛け声は掛けてはならないのである。その渡御行為そのものが、ニギハヤヒの降臨を先導する神事に他ならないからである。

そしてこの名誉ある渡御の奉仕に関われるのは昔から「鳥居元」の八反地氏子にのみ許されてきたわけである。

今日のテーマは大変難しい構造。ややこしい話なのですね。だから風早の先人たちはこの行為を「女性の方から夜這いに行かれるのよ」などと通俗説話として語り継いできたわけです。

これこそが先述の風早宮版「ヒメ・ヒコ制」である。

まあこんなことを知らなくても十分祭りは楽しめますsmile
だけど悠久の歴史を、そして今やここにしか残っていない「ヒメ・ヒコ制」の神事構造に関心を寄せていただくこともまた、氏子としての更なるアイデンティティを高めるモチベーションになるかもしれない。

 

今年の「宵の明星」神事は10月9日(土)宵に行われます。

 

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八反地氏子の奉仕によって行われる「宵の明星」神事に伴う「お忍びの渡御」。誰が命名したのかはわからないが、丁度今時分一年で一番金星が宵の口、夜空に輝く時節なのである。古代人は粋だったんですね。


 


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快晴sunに恵まれた松山地方祭は日中、氏子地域で巡町が行われ、宮入り前にも各所で鉢合わせが繰り広げられた。

古町会の今朝の宮出しでは結果として一度限りの鉢合わせとなり、舁き夫も観衆も残念ひとしおの感が否めなかったが、その分、同じく堀之内特設会場で行われた今大祭・納めの鉢合わせは何度となく鉢合わせが展開され、さらに大三島神社への宮入りが迫る中で、観衆の歓呼の声援に応える形で、さらにもう一回鉢合わせを見せるなど、観衆へのサービスも満点で、エエ祭りを見せてもらいましたsmile。最後に舁き夫・観衆・実行委員会役員一同が「三本締め」を行い、3日間にわたる地方祭の幕を閉じたshine

 

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十分な関係者の安全対策と何よりも古町会さんの祭礼成功に向けての熱意と努力の賜物と深甚なる敬意と感謝の意を表します。広い氏子町を昼間巡って大変お疲れのところ、今晩の鉢合わせのパワーに脱帽sign03大過なくすばらしい秋祭りだったと思います。

舁き夫のみなさん、お疲れ様でした。又来年も楽しみにしていますfuji

 

 

 

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