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よもやこんな瀟洒でいて閑雅な趣をたたえる、しかも社殿のことごとくが国の重文であるという神社が、平成の御世になっても現存することを私は寡聞にして存じませんでした。しかしやはりご縁というものは恐ろしいものですね。今年平成22年10月1日から全国一斉に封切された「大奥=全ての要職に女が就き、男が体を売る!?」の宣伝番組【男女逆転『大奥』奥の奥まで徹底解剖スペシャル!(TBS)2010/09/25(Sat)15:30】をたまたま見ていて、セットではないのに江戸時代の映画撮影にピッタリはまったその古社に私は大いに惹かれました。すぐにその聞いたことも無い社名をメモりました。それがこの「油日神社」です。クランクインは今年4月15日(木)、当社にて撮影がスタートしました。
上記公式ページなどの情報によると奇想天外な現実にはありえない設定です!ま、「男女逆転」と銘打つくらいですから。主人公の徳川吉宗を演じるのが女優の柴咲コウ、仕える美男の園「大奥」3000人のなかから頭角を現し、御鈴廊下で、吉宗から初SEXの指名を受けるのが主演男優の二宮和也演じる若き侍・水野祐之進です。その他玉木宏、阿部サダヲ、佐々木蔵之介、和久井映見、倍賞美津子、竹脇無我、中村蒼ら豪華キャストが脇を固める話題作。愛媛県松山市では大街道シネマサンシャインで11月26日までということで、特に大奥は何度もテレビや映画で見飽きているので、奇想天外の番組設定のとはいえ、映画自体には左程興味は無かったのですが、この神社をブログにアップするに当たって、参考までに見ておこうかと千秋楽の11月26日(金)に鑑賞してきました。最終日だったので観客はゼロでした。
映画の時代設定は正徳年間。赤顔疱瘡(あかづらほうそう)という男性だけが罹患する疫病がはやり、たちまち男性人口が4分の一に激減し、元気な子種を求めて男性がバイトで体を売り、あるいは公認の吉原遊郭は遊女街ならぬ男娼街という有様です。江戸市中では力自慢の男性に代わって大工も飛脚も幕閣もみんな女性です。そして大奥には美男子が一人の将軍のために通称3000人(実数800人)も構えていたという筋書きです。四国電力のCMで御馴染みの玉木宏は聡明でルックス良しのエリート官僚として「御中臈(おちゅうろう)松島」を演じ、大奥総取締役の松島(佐々木蔵之介)や部下の鶴岡(関ジャニの大倉忠義)とも肉体関係を持ちながら次期将軍の父の座を狙う妖艶な策略家を好演しています。しかし吉宗の政策によって失脚することに‥‥。
一方ひょんなことから吉宗に見初められた水野は夜伽をすることになった。しかし初エッチの相手【「御内証の方」(ごないしょうのかた)と呼ばれた】は死罪(玉体を傷つけたという罪)となるのが家光以来のしきたりとか。(よしながふみの男女逆転大奥では御内証の方というのは、一度限りの性教育係として殺されてしまう運命と設定されているのですが、もちろんこれはフィクションです。)しかしこれでは水野があまりに残酷と、吉宗の温情で打ち首の寸前で大奥から追放され、町人新吉として第二の人生を、大好きなお信(信)と一緒に送るというハッピーエンドなストーリーでした。
油日神社関係では、剣術の稽古(けいこ)を終えた水野が 握り飯を作ったお信(堀北真希ちゃん)と会話をするシーンが撮影されました。そもそも今回のありえない時代設定は、よしながふみの同名人気コミックが原作。謎の疫病で日本国の男性の人口が激減し、男女の役割が逆転した江戸時代。1人の女将軍に3,000人の美男が仕えるという"大奥"を舞台に嫉妬、愛憎、野望、人間模様が映し出される。堀北さん演じるお信は薬問屋の娘。二宮さん演じる水野と両想いでありながら、貧乏旗本と名門の薬問屋の娘という身分違いの恋に思い悩む設定。(ま、興味のある方はいずれDVDをレンタルしてみてください)
さて神社参拝好きな私としてはぜひナマで参拝してみたいところ。かといって滋賀県は遠方です。思案していたら丁度11月3日には岡山県浅口市で国民文化祭全国漢詩大会があり、翌日からは風早歴史文化研究会の研修旅行で近江と越前方面の旅行がセットされておりましたので、いささか強行軍ですが、皆と滋賀県草津SAで合流する11月4日午前中の合間をぬって、滋賀県甲賀市にある当社の参拝にこぎつけました。前夜国民文化祭に協賛する形で岡山市内で開かれた「漢詩を創ろう」サイトオフ会に参加し、一路新幹線で京都に前泊。翌日4日朝、JRで向かい甲賀駅で下車。タクシーで15分弱で到着しました。想像以上に心にフィットする神社でした。観光客は平日もあってか一人もいません。湖国と呼ばれるだけあって清水が豊富で、せせらぎの音が聞こえます。みれば神社神域内を小川が四方に流れているのです。何とも清浄な境内です。さらに映像で惹かれたこの総桧皮葺の社殿、見事です。これなら時代劇の撮影にもってこいですね。
ゆっくり参拝してお迎えのタクシーまで散策していると、隣県の三重県から定期的に参拝しているという、50代くらいのご婦人に出会いました。その方が言われるには
「当社のご利益はすこぶる強く、その方が一時期病に罹り、医者にかかっても原因不明で埒が明かず物が言えなくなったとき、ここへ参拝を重ねることにより再度声が出だしたこと、また息子が結婚する段になり、当初はマンションを賃貸するとの意向で、ご両親としてはいささか淋しく思っておられたが、これも御神慮か結果的にお嫁さんから同居の申し出と相成り今も円満に暮らしていることなど(要旨)」
を語ってくださいました。やはりご神威が古よりすごいんですよ。よいお話が偶然伺えました。これでこそ四国から尋ねた甲斐があったというものです。
社叢もさることながらご神意もすばらしいことが分かりました。しかも地元の氏子さんではなく、遠方三重からたびたび詣でられると言うのですから。一体どなたが主祭神なのでしょうか?私の第6感がぴくぴくします、風早宮大氏神のニギハヤヒの匂いが、テレビを見たときから実はしてならなかったのです。上記掲出の『物部氏ゆかりの神社と地図monomap :「神奈備」様ホームページ』にも当社は挙げられていますし、何よりも古社で「火の神」と言えば本来ニギハヤヒと相場は決まっています。当社から3キロ先の神体山である油日岳には岳大明神(油日大明神・通山大明神)と呼ばれる奥宮が祀られています。毎年8月11日の夕方 から旧油日谷七郷の氏子代表が神奈備山にあたる油日岳に登って参籠し、翌日山神の荒魂 を山麓の里宮である油日神社に迎える伝統行事が続けられているのです。神体山信仰の「御生祭(みあれまつり)」の形態を現在に残す興味深い行事といえます。このように神山信仰が残る神社は創始が古く由緒があります。同様な神事が下鴨神社の境外摂社 御蔭神社(京都市左京区上高野の御生山:みあれやまOR御蔭山:みかげやまに鎮座)から荒魂(あらみたま)(新しく生まれた神霊)をお迎えする神事「御蔭祭(みかげまつり)」があり、かつては「御生神事(みあれしんじ)」とも呼ばれていました。「御蔭山」にあるこの社地は、太古鴨の大神(下鴨神社御祭神である玉依媛命、賀茂建角身命、二柱の荒魂とされるが、上賀茂神社御祭神である賀茂別雷皇大神=饒速日尊ともされる)が降臨された所と伝えられているところから御生山と呼ばれており、 東山三十六峰第二の神体山である。また「太陽のただ射す所、即ち、御蔭山」とも呼ばれそれに因んで社名ともなった。一方同じく京都市の上賀茂神社では同様の神事の御阿礼(みあれ)祭、神事が同日5月12日に斎行される。起源はBC581年に始まり日本最古の神事とされています。現在もなお変わりなく5月12日、牛の刻に神事が斎行されます。旧暦では4月の午の日。
これは上賀茂神社の祭祀の中では、最も古く重要な神事。葵祭に先立ち、夜半に闇の中で神職のみで行なわれる。非公開。 神事の斎場は、上社の北西にある丸山の南麓「御阿礼所」(御生所)に、神籬(ひもろぎ)の囲いがつくられる。かつてはさらに北の神山(こうやま)で行なわれていた。御阿礼所の中央には、榊に垂の「阿礼木」が立てられ、南に松の丸太二本の「御休間木」(おやまぎ)が扇形に突き出している。さらに二つの立砂(たてすな)が設けられる。 さまざまな御阿礼神事は宮司、矢刀禰(やとね)などによって行なわれ、さらに本殿に場所を移される。本殿内陣には御帳台(みちょうだい)に「勧請の小麻」(かんじょうのこぬき、阿礼棒)がある。この夜、みあれ(生(あ)れ、再生)した神霊(別雷神)は、御阿礼所の御阿礼木、御休間木から、矢刀禰の真榊を経て、本殿小麻に移され、賀茂祭当日を迎える。
<参照・関連ホームページ>
「京都鴨川風光・京都風光&京都寺社ガイド」様ホームページより
京都鴨川風光葵祭前儀式Aoi Pre-Festival
http://everkyoto.web.fc2.com/aoifes2.html
滋賀県野洲市に鎮座する御上神社の御祭神も天之御影神であり、神体山三上山に降臨した神です。「忌火神」とも「二火一水の神」ともいわれている火の神です。この神名は伊勢神宮祭祀(天之御(日)神=女王アマテラス)の「影神」「幽神」であるというのを暗示しているのではないかと推量します。ここにも消された覇王・饒速日尊=天之御影神=賀茂別雷皇大神の祭神隠しの公式が導き出せるのです。この御上神社の神事も神体山信仰としてはあらゆる意味で標型的なものを示す存在です。往古はおそらく社地から神体山へかけて「三上ノ森」と呼び榧の原生林叢で繋がっていました。往古社殿はなく春に神霊を山より迎へ(みあれ)農耕の豊穣を祈る「としごひ」の祭にはじまり、秋には豊作感謝のまつり、「にひなめのまつり」をして、これを山頂に送り還へすといつた形で祭祀が行われていたと考えられます。
山頂に天津磐座があり、奥宮が祀られています。
「天津磐座」は、幅約3m×高さ約2m、厚さ1.5mの船形の岩石である。
この地は安国造(やすのくにのみやこ)の本貫地でした。
旧6月18日祭神御降臨の日には神職氏子等は未明に登頂して神迎えの山上祭を行い、下山して本宮で再び祭神奉迎の影向祭が行われる。本殿の裏扉は祭典時にお山を拝むために構営され神体山信仰の様式手法を伝えている。
また御上神社の秋祭りには秋季古例祭(昔は祭日10月14日)があり通称「三上のずいき祭り」として知られています。サトイモの茎(ずいき)で100キロの神輿を豊作に感謝して毎年新調し神社に奉納する祭礼で、風早宮大氏神の暴れ神輿と構図が一緒です。古くは「若宮殿相撲御神事」と呼ばれ神輿の前には土俵を作り角力猿の人形を飾ります。
★三上のずいき祭・野洲市 ぶらり旅
http://hitorikimamani.cocolog-nifty.com/buraritabi/2008/10/post-e975.html
我が国津比古命神社や櫛玉比賣命神社の御動座祭や特殊神事『宵の明星』も姫神が再生した男神の荒御魂の降臨を願う神事で前述の3社同様、貴重な物部神道に纏わる神事といえるでしょう(ちなみに風早宮の神体山は日輪を祀る高縄山と風伯の神を祀る恵良山であると私は考えています。→いずれ詳しく風早歴史文化研究会の機関誌にて詳述したい)。
いずれ御上神社についても機関誌上で考察したいと思います。
油日神社社伝にも往古、油日山頂(694m)に油日大明神が降臨、そのときに、油の日のような大光明を発したとの事で、「油日」の名が起こったと伝わる。その具現化した祭礼が9月の大宮ごもり(油の祖神参篭日)です。それは9月11日より始まり、油日岳頂上で夜を徹して神火を焚き、13日に油日神社に1000個の灯明をあげて油の祖神に捧げるというものです。
これら一連のことからも本来は火の神であり太陽神と考えられニギハヤヒを想起させますね。天地創成の母胎である「アブラ」に宿る「ヒ」(日、火、霊)の大御魂であるといい、万象根源の神、諸願成就の神、油の祖神として崇敬されています。
しかも記紀にもその名が見えず(国史見在社)、全国に系列の神社が見当たらずないことからも、大いなる大神の神名(本名)が当時の朝廷により意図的に隠されたのではないかと感じられます。神社の公式見解ではニギハヤヒとはもちろんしていませんが、そこは古代史への造詣度合いにより各々ご判断なさいということなのでしょう。
さて約一時間写真を撮ったり、回廊に腰掛けて精気を吸い込んだりしていると、たまたま宮司さんが境内に見えられました。社務所と自宅が別棟とのことで常時はいらしゃらず、御朱印も諦めていたのですが、運よく記帳いただけました。宮司さんから「どちらから?」と問われたので「松山からです」と社交辞令の範囲でお答えしました。すると御朱印帳を返してもらい、ややあって宮司さんがまた戻って言われるには、ただ今(当時→現在は閉幕)滋賀県立近代美術館で『生誕100年特別展 白洲正子「神と仏、自然への祈り」』をやっていて、実は当社の宝物も出していますからと、パンフを下さいました。
俺:「でも先生、これから大津で団体と合流し、今回は残念ながら美術館に回る余裕が無いのです」
と申し訳なさそうに返答すると、
宮司:「いや、之も御神縁だね。来年早々に愛媛県立美術館でも同様の展覧会をやるんだよ。近くならぜひお運びください。」とわざわざ自宅にパンフを取りに帰ってまでご案内を下さったのです。自筆で平成23年1月29日(土)~2011年3月6日(日)〔32日間〕と余白に期日まで入れてくださっていました。まだ愛媛県立美術館のホームページでも公式に発表していません。早々と情報を下さった油日神社の宮司に感謝です。そもそも中央展では東京世田谷区一箇所であり、地方展では滋賀県大津市と愛媛県松山市の二箇所のみというのですから、今回の旅行の自由時間に当社を訪ねなければ、この企画も知る由も無く、またいずれ知ってもこの探訪日まで、白洲正子さんにさして興味が無く(白洲次郎氏の妻くらいは知っていたが)、恐らく今回の宮司との出会いが無ければ美術展に行かなかったでしょう。それを思うと旅行の日程や日時、そして事前に「大奥」のPRテレビを見たことで油日神社の存在を知り得、ここを含めて近江路を歩いて古都の日本美術の収集や紹介に尽力された白洲正子さんの生涯にまで辿り着かなかったことでしょう。何かが後押ししてくれているような気がします。
そして近江も物部王国であり、いずれ物部祭器銅鐸(今回旅行の動機は「野洲市立銅鐸博物館」が行程にあったから。)や近江の式内社をからめて風早宮大氏神の謎に迫る続編を「風早」の機関誌に執筆したいと考えています。
【福太夫面 1面、ずずいこ 1躯、翁面 1面、次第書 1握、ささら竹 1個
(油日神社提供宝物)】を新年には、ぜひ見に行きたいと思います。
●神社プロフ
JR油日(あぶらひ)駅の東約1.7km油日岳(694m)の北西麓にあります。昔、この山頂に油日大明神(あぶらひだいみょうじん)が降臨し、そのとき大光明を発したので、「油日」の名が起こったといいます。山頂に「岳大明神(だけだいみょうじん)」の奥宮が祀られ、奥宮に対する里宮が油日神社です。古くから朝廷の崇敬が厚く、甲賀の総社と敬われ、油の火の神として庶民の信仰も広く集めました。現在でも全国油業界の信仰が厚くあります。明治維新までは神仏習合の色彩が濃く、室町時代の絹本著色十一尊蔓荼羅図(きぬほんちゃくしょくじゅういちそんまんだらず)、千手観音三尊蔓荼羅図、種子三千仏などが保存されていることなどは、そのことをよく物語っています。
広大な神域には、数百年を経た老樹が密生し、社殿は古社の様相をよく伝えています。正面の参道から見ると、楼門・回廊(かいろう)・拝殿・本殿が一直線に整然と並んでいます。いずれも、重要文化財に指定されている室町時代の神社建築ですが、このようにまとまって一境内に現存しているのは、県下でもきわめて珍しいです。太鼓踊りなどの祭礼も意義深いものがあります。見事な神社建築だけでなく、山岳信仰や民俗行事も見落とせません。
<重文>本殿 楼門及び回廊(3棟) 拝殿
御利益
商売繁盛/出世開運
全国油業界の信仰を集める
油日神社の花
桜 (4月上旬~4月中旬)
所在地 滋賀県甲賀市甲賀町油日1042 【地図(GoogleMap)】
アクセス 公共交通機関 JR草津線「油日駅」下車 徒歩 30 分
JR草津線「甲賀駅」下車 車 10 分
駐車場 普通車10台
お問い合せ 油日神社
TEL:0748-88-2106
●特殊神事や祭礼
油日祭り最終更新日:2008年4月10日
毎年5月1日
油日神社の祭礼は、毎年5月1日に行われ、数年に一度の「太鼓踊り」が行われます。「奴振(やっこふり)」は5年毎に行われており、どちらも無形民俗文化財に指定されています。中世に始まった神事は盛大で、雲助姿(くもすけすがた)の奴、毛槍(けやり)奴等がそれぞれ衣装をこらし、道中歌を独特の節まわしで歌いながら練り歩きます。次回の奉納は平成23年度です。
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